極北の光哀しみの果てを観る
★ 瘋癲老仁妄詩 14206
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極北の光哀しみの果てを観る
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オーロラを、生で見たいと、
若い頃から、思いつづけてきました。
余裕ができたら、見に行くことができると、
信じていました。
ついに、オーロラを見に行けるような余裕は、
できませんでした。
でも、今世は、
生でなくても、
テレビで、オーロラを、見ることができるんです。
生じゃないと、意味がないという人がいます。
生じゃないと、値打ちがないという人がいます。
生で見れない老仁には、
テレビで、十分になりました。
生の迫真性はないけれど、
想像力の翼で、
オーロラのビジョンを飛翔することができるんです。
オーロラさんと、恋をすることもできるんです。
その時、オーロラは、老仁の内部の世界になります。
そしてまた、オーロラは、異時空への扉になるんです。
異時空飛翔を遊ぶ老仁にとって、
生も、バーチャルも、
現実も、小説も、
同じ異時空飛翔の世界なのです。
そして、老仁の生身の心が、
取り残された地平で、
叫んでいるのも、感じます。
生身の心は、
その哀しみの眼差しで、
遠い世界の、
未だ見ぬオーロラを、
やっぱり、見たい、見たいと、
憧れ続けているのでした。・・・
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★★★ 『 木花木花木花木花観音抱きしめて独りの時を満たされにけり 』 ★ 瘋癲老仁妄詩 7202
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★★★ 『 幻視する愛を貫け酔芙蓉 』瘋癲老仁妄詩 1701
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